「主を待ち望む」(2018年12月2日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

今年も主を待ち望むアドベント(待降節)に入りました。アドベントという言葉は、「到来(アドベントス)」というラテン語がもとの言葉です。

 

主イエスがお生まれになる頃、イスラエルの民は大国ローマの支配の下に置かれていました。指導者たちは、ローマの顔色をうかがいながら政治を行い、熱心な愛国主義者の中からは、時々に自称メシアが現れては反乱が引き起こされ、強大なローマ軍がそのメシアを十字架につけて殺していくという、不穏な時代でした。

 

イスラエルはそれまでも、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマと、数百年にわたって入れ代わり立ちかわり大国の支配に甘んじてきました(一時、独立を果たしましたが、またローマに占領されました)。神の民であるイスラエルが、なぜ異教徒に力づくで支配されなければならないのか。その神の民ゆえの苦しみから、メシアへの待望が生まれ、イスラエルの民は長い間、神の救いを待ち望んできたのです。主イエスはそのような時代のただなかに、イスラエルの民が期待していた力強い王のイメージとは違うありようで、ひっそりとお生まれになったのでした。

 

今年のアドベントは、このイスラエルの民がメシア、神の救いを待ち望んでいたことを深く思いめぐらしたいと思います。そして今もなお、力による支配や搾取が続いているこの世界に、神の愛の支配をもたらす救い主、メシア・キリストの到来(再臨)を、心から待ち望み、祈る時としたいのです。

 

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